親切と迷惑の境界線って何でしょう?

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こんにちは^^
レナリスです。

誰かが困っている時や、困りそうだなと思う時に手を差し伸べる・・そんな親切な行動は女性らしさを感じさせてくれます。
それだけではなく、誰かの助けになった!という気持ちで自らの心がとても晴れやかになりますよね。

その一方、自分が親切だと思ってしたことが相手の迷惑になってしまった・・こんな話も良く聞きます。

有名な例として、『若い人がお年寄りに席を譲ってあげたら、年配の人の機嫌を損ねてしまった』というエピソードがあります。

若い人の考え「お年寄りは立っているのがしんどいはず、だから席を譲ってあげたら喜ぶだろうなぁ。」
年配の人の考え「まだ元気なのに年寄り扱いするなんて!悲しくて悔しいなあ。」

こういうお話を聞くと、他人に親切なことをするのが怖くなってしまいますよね。

親切と迷惑の境界線ってどこにあるのでしょうか。

「本当に相手のためを思っているのか、ただ自分が気持ちよくなりたいからではないのか」
「相手にも価値観があり、その行動を行っている正当な理由がある」
「自分だけが正しいと思い込まない」

この3つを意識していれば、親切が迷惑になることはありません。
もちろん、これらを意識していたとしても、相手の受け取り方次第で迷惑ととられてしまうことはあるかもしれません。
しかしそれは、気に病む必要が無いものです。


具体的な例を挙げてみますね。
会社の同僚のデスクにお茶がなみなみと入ったマグカップと、その近くに大切な書類があったとします。

それを見たあなたはどうするか。

・少し離れた位置にマグカップを置きなおしてあげる
・「危なそうだよ~」と同僚に声かけする

たとえばこんな感じでしょうか。

では、同様の危ない場面を見るのが5回目で、それまでは毎回あなたが助けていたとしたら?

また同じように助けてあげることが親切になるでしょうか?
同僚がどうするかを見守ってあげるのが親切でしょうか?

毎回助けてあげることで、相手からの感謝は得られるかもしれません。

しかし、本当は相手の感謝が欲しいだけだったのではないか?一度くらいお茶がこぼれて大変さを実感するほうが良いのではないか?→「本当に相手のためを思っているのか、ただ自分が気持ちよくなりたいからではないのか」を考える

もしくは、行動の優先順位が違っていただけで、マグカップをずらすことにはすでに気づいていたとしたら?→「相手にも価値観があり、その行動を行っている正当な理由がある」を考える

はたまた、私が知らないだけで、絶対に中身がこぼれないマグカップなのかもしれない・・→「自分だけが正しいと思わない」を考える

相手の状況や自分の本当の目的を考えたうえで、助けるという判断をしたのなら、それは親切です。
相手の状況や自分の本当の目的を考えたうえで、助けないという判断をするのも親切です。

先ほどの若い人が年配の人に席を譲る際のお話しについても同じことです。

若い人の考え「お年寄りは立っているのがしんどいかもしれない、だから席を譲ってあげたら喜ぶように思う。もちろん、あの人は何らかの意思があって座っていないのかもしれない。でも、私は譲りたいと思った。」

こう思って譲った結果、年配の人が断ったとしても、それは気にする必要はありません。
なぜなら、若い人が自分自身で十分に考えた結果の親切だからです。
そうか、相手はそういう考えだったのだなぁと理解するだけで、譲ったことを後悔する必要はないのです。


自分の中に基準があると、他人に対して親切にすることが怖くなくなり、また迷惑なのではないかと恐れることもなくなります。

また、他人に親切にすることに慣れると、他人からの親切の受け取り方も上手になります。
相手は勇気を出して、私に手を差し伸べてくれたんだなあと思うと自然と感謝したくなりますよね。
してもらったことそのもので判断するのではなく、その裏側にある気持ちに気づき、感謝できるようになるということです。

そして、他人の親切を上手に受け取れる人には親切がもっと集まってきます。

自分も他人も幸せになる親切。
迷惑になるかも・・おせっかいかも・・と不安になる前に、一度心構えをチェックしてみてくださいね。
ぜひあなたの素敵な親切パワーを解放してください^^

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