今日は心のお話しをします。
直接的な女性らしさではありませんが、心の柔軟性を保つことは女性らしさの基盤です。
心が元気であるからこそ、内に秘めた女性らしさが解放されるものです。
では本題です。
0か100かしかない思考の間に、30や50、80などのたくさんの目盛りを増やすことによって、心の疲れがいやされることがあります。
0か100かしかない思考、いわゆる0・100思考とは、0(全くダメ)か100(完璧に良い)か、どちらかの目盛りで物事を見るということです。
白黒つける考え方、オールオアナッシング思考も同じ意味合いです。
この考え方ははっきりとした答えが出ますので、シーンによっては非常に役に立つでしょう。
完璧な目標に向かう為のパワー、不要なものに一切気を向けずに集中できる力など、100になるための情熱はものすごいものがあります。
思い描いた完璧な女性になるために、苦しいことをいとわず日々努力できることもあるでしょう。
つまり、0・100思考自体は素晴らしいものであり、そこが欠点だと思う必要は全くありません。
ただ、0・100思考は心が疲れやすい、という側面があるのです。
心が疲弊していることに気づいたら、自分自身のために、きちんと心をケアしていく必要があるということです。
心が疲れやすい場面は、たいていが自分への評価による苦しみか、他人への評価による人間関係の悪化です。
【1】自分への厳しい評価で心が疲れているとき
自分への評価を0か100かで完璧に仕分けをしてしまいますと、100だったときは良くとも、0だと思った時には大きな絶望感に襲われることになります。
それまで100だと評価していた事柄が、何かをきっかけに急に0に落ちることもあるでしょう。
具体的な例を挙げますね。
1・『今までは、理想の顔になるよう、十分満足いくまで徹底的にメイクをしていた。
けれどもある日急にお肌が何も受け付けなくなって、最低限のメイクしかできなくなった。』
今までの状態を100、後の状態を0ととらえたとしたら、一気に自分の評価が下がります。
評価が下がるのと同時に、いらだちや苦しみ、悲しみなどが一気に押し寄せてくることでしょう。
そして、100でなければ意味がないのに、今後も100に戻れる見込みがなさそうだと分かった時の絶望は計り知れないものがあります。
2・『お仕事で資料を作ることになった。
思い描く理想の資料があるけれど、自分に知識がなく、今から学んで作ったとしても不完全なものになってしまう。』
理想の資料が100、自分の作った不完全な資料を0だと考えてしまいますと、そこから一歩も動けなくなってしまいます。
100でないと意味がないと考え、何日間、何か月とかけてしまい資料の作成が進まないことや、作成自体をあきらめてしまうことが考えられます。
そして、やってみたけれど上手く行かなかったときに、「なんて自分はダメなんだ」と大きく否定することもあるでしょう。
どんなに小さな出来事であっても、本人にとっては重大なダメージです。
ひとつの心のダメージによって、心が疲れ切ってしまい生きる気力さえ無くしてしまうこともあるのです。
そんな時、0か100の間に細かい目盛りを増やし、中間を認めることが出来るようになれば、心の苦しさがとても楽になっていきます。
【2】他人への厳しい評価で心が疲れているとき
もともとは自分への評価からはじまるものですが、それが発展して他人への評価も0か100かで判断するようになると、とたんに周りが敵だらけに思えるようになります。
具体的な例を挙げます。
1・『服装を完璧にしている女性こそ最高だと思う。友人は手を抜いているからダメである。』
服装を完璧に整えている女性が100、その他の女性はすべて0だと考えるやりかたは、周りがダメな人だらけに見えたり、はたまた完璧な人ばかりに見えたりと、周りの影響での心の浮き沈みが激しくなり、自らの心を疲弊させます。
そもそもその「完璧の基準」も自分で決めるものですから、どんどん基準を厳しくしていき自分を苦しめることがあります。
2・『私はたばこを吸うことはあり得ないと思っている。彼はたばこを吸っているので、私は彼の事を嫌いである。』
たばこを吸わない人が100、吸う人はすべて0と考え出しますと、タバコを吸っている人が強烈に腹立たしくなったり、吸わないよう指摘をすることもあるでしょう。
自分自身も100であらねばならないという理想に縛られ、一歩でもずれようものなら自分の心を厳しく否定することもあります。
3・『彼女はとても仲の良い友人であったが、この前のランチ会に私を誘ってくれなかった。彼女は私のことを嫌いなのだ。』
ランチ会に誘うという行為を好意100%、誘わなかったら好意0%ととらえてしまっている状態です。
勝手にどんどん相手への不信感が募り、友人関係を終わらせてしまうこともあります。これはとても辛いものですね。
どのパターンもすべて先ほどと同様に、0と100のとらえ方の間に中間の目盛りを増やせば心は楽になるものですが、他人との関係で心が疲れている時も、まずは自分への評価が極端になっていないかどうかを考えることが改善への道です。
他人のすみからすみまで批判したくなる時は、大抵自分の心が疲れている時です。
自分の心が柔軟になれば、他人へも自然と柔軟になります。
一番注目するべきは、0か100かの厳しい評価で自分の心が疲れていないかどうかです。
それが発展して、「生きづらさ」となってしまうこともあるからです。
初めにも書きましたが、0・100思考が役に立つ場面では大いに活用してください。
そして、疲れを感じる場面でだけ、自らの心のやすらぎのために、目盛りを増やすことを考えてみてください。
私自身も、0・100思考でずいぶん苦しみました。
今も極端にとらえてしまう時はありますが、『あっ、今0・100思考になっている!もっと目盛りを増やそう。』という気づきだけで、随分と心が楽になります。
目盛りの増やしかた、そのときの考え方については改めて記事にいたしますね^^